


【写真説明】藤枝国家森林遊楽区内のすべての案内板は左写真のようにモーラコット台風以降の閉園の為に黒のビニールでカバーされている。中央写真は、岡部分遣所と東藤枝山頂上間に敷設されている木製階段、同遊楽区内にも同様の階段が敷設され遊楽客の便宜に供している。右写真は、第二十一宿「岡部」分遣所跡地。
六亀警備道に興味を持ち始めた後も、藤枝国家森林遊楽区内にある駐在所跡地はその「藤枝駐在所」一箇所のみで、況してや警備道が園区内に残っているとは想像もしていなかった。六亀警備道とその沿線の駐在所跡地がかなり網羅された百科辞典的『台湾全覧』でも、園区内の駐在所跡地は藤枝一箇所だ。
最近になり、林務局の国家森林遊楽区歩道地図を見る機会があり、園区内の歩道に沿い、「六亀警備道」と「岡部」、「鞠子(丸子)」、「府中」駐在所(実際は分遺所)跡地が明記されているのに気付いた。サイトで紹介されている歩道地図、つまり一般の行楽客が通常目にする歩道案内にはこの六亀警備道の記載はなく、又、分遺所跡地も「藤枝駐在所跡地」と記載されているだけなので、筆者も当初はこれら三分遺所跡地は、藤枝の更に北側、園区外にあるものだと思い込んでいた。
秘密の抜け道は予想に反し、急で長かった。やっと園区内の遊歩道に出ると、大勢の若いハイカーに出会ったので、休日は相当な登山客で賑わうことが判った。十五年も経つと当時の記憶は見事に洗い流されており、全く未知の遊歩道であり登山道だった。当時どのくらい苦労して東藤枝山まで辿り着いたか?これも全く記憶に無い。遊歩道に合流してから園区内の最高点である東藤枝山頂上までの殆どは木製の階段、手摺りが架設してある。これ等が十五年前もそうだったか?
園区入口から東藤枝山頂上へは遊歩道を西側から辿り、稜線に出た後、大凡南側から登り詰める。遊歩道と稜線との出会いは、屋根の付いた休憩所が敷設された大広場となる。そこから頂上まではテラスを持つ二段の休憩所が続き、東藤枝山頂上到着である。
稜線との出会いの広場は、それが嘗て何だったのか?検討が付かなかったが、復路、岡部分遣所跡地と断定した。断定とは当地にそれと謳った標示板が存在しないからだ。(続く)
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