


【写真説明】「バリサン」の漢音訳は種々ある。元々はブヌン族バリサン社に対し使われた表記で、日本時代は片仮名で統一されていたが、戦後の漢字表記は様々。基本カタカナで表記されていた原住民集落の漢字化にルールが存在しないからだ。「媽哩散」、「蕃里山」、「馬里山」、「巴里山」。。。当時の地形図を見ると、三つの「バリサン」表記がある。原住民集落、内本鹿越嶺警備道(内本鹿古道=黄色線)上の駐在所、加えて、六亀警備道(=赤線)上の駐在所である。本投稿記事は無論六亀警備道上の警戒所(監督所)である。これらバリサンの在処を確認する際一つ気付いたのは、内本鹿警備道西段と六亀警備道北段の交差点、藤枝駐在所から前者の支線たる警備道が延びておりその終端がバリサン社駐在所であったことだ。通常バリサン駐在所の在処は、雲山林道(出雲山林道)起点から2.5`程南下した場所とされ壮大な遺構が残存している(後日「内本鹿越嶺古道」として紹介予定)。ところが、林一宏『蕃地駐在所建築』論文で紹介されているGPS座標は更に南下した地点を指し示しており混乱中。他方、六亀警備道上のGPS座標を何処で入手したか失念してしまった。掛川分遣所跡地とバリサン警戒所跡地(推定)の間は、掛川〜見附間警備道(ダイヤグラム上の「マリサン」は筆者の誤記)の中で最も勾配の急な部分でロープが渡してある(下段写真)。その急坂を乗り越してしまうと、二つの緩いピークを越えて往く。同時に、この区間は掛川〜見附間で警備道が最も平坦な部分に開鑿されている(中央・右写真は同区間の警備道景観)。因みに右写真は警備道がどう崩壊していくか?の一例。北側のピーク付近がバリサン警戒所跡地のはずなのだが、跡地と思しき平坦部が続々と現れ(左写真はその一例)跡地を特定出来ず。ところが、バリサン警戒所が設営された辺りの地形は外から見ると非常に特徴的だ。このパノラマ(藤枝林道18`地点から撮影)は藤枝から見附山まで連なる稜線の概念図である。(続く)

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